銀座カラー名作に学ぼう 今週の、あのセリフ

人生の最期に思い出すのは、愛されたことか、愛したことか。

 

「人間は死ぬ時、愛されたことを思い出すヒトと、愛したことを思い出すヒトにわかれる。私はきっと愛したことを思い出す」

 

ふたりを同時に愛した男。ひとりの男を愛したふたり

 

舞台は1970年代半ばのタイ・バンコク。主役の豊(西島秀俊)は、単身でバンコクに駐在している航空会社のエリート。彼にはいかにも”理想的な妻”になりそうな婚約者・光子(石田ゆり子)がいて、豊と結婚する日を日本で指折り数えて待っています。そんな豊の前に、謎の美女・沓子(中山美穂)が現れるのです。異国の地で、まるで溺れるように恋に落ちていくふたり。

 

しかし、豊は婚約者と結婚するために、沓子と別れる決心をします。運命のいたずらか、25年もの年月が過ぎ去ったあと、ふたりは劇的な再会を果たすのです。

 

さて、ここで問題。

「人間は死ぬ時、愛されたことを思い出すヒトと、愛したことを思い出すヒトにわかれる。私はきっと愛したことを思い出す」、このセリフはいったい誰が口にしたのでしょうか。登場人物のうちの誰の思いかによって、セリフの意味が変わってくるので、ここではあえて伏せておきます。

 

死ぬ時に、愛されたことと愛したこと、どちらを思い出すのか。いや、まだ死んでないから、どちらを思い出したいかを自分に問うてみたところ、「愛されたことかなあ」とぼんやりとですが選択しました。理由は「そのほうが、幸せな気分のままこの世を去ることができるから」。

 

だから最初はこのセリフ自体を「なによ、いい人ぶって綺麗ごと言っちゃってさ」と斜に構えて受け止めていたのです。

 

同時に「とはいえ……死という極限状態で思い出すほどに”誰かに愛された事実”は、自分の人生で本当に存在しただろうか」と不安にもなりました。いくつかの大恋愛もしたし、その度に愛されたような気はします。でもそれはあくまで自分比であって、相手に心底「愛されていたのか」を確かめる術は……ない!

 

 

瀕死の状態で「あなたはあの時、私のことを本気で愛しましたか」と電話やメールをするわけにもいかないし、今のうちに元カレたちに確認しておくべきか……。そんなバカな妄想までしてしまいました。

 

たくさんの不確かなものよりも、
確かなものをひとつだけ胸に

 

人間は他の生物と違って「気持ちとは裏腹なことを口にする技」を持っています。「愛してる?」と尋ねられたら、愛していなくとも「愛してるさ」と返すのが礼儀だというのも知っています。または「そんなこと、言わなくてもわかってるだろう」と言えば、なんとかごまかせたりもします。他の人のことを思いながら、目の前の人を抱くことだって、抱かれることだってできる生き物でもあります。

 

だからこそ「あの時、あの人に愛されたのは、本当だったのだろうか」と幻を見るような気持ちになってしまったのです。死ぬ時くらい、なにか確信を持って目を閉じたい。それならば「誰かを愛した事実」は確実に思い出せる。だって自分自身のことだもの。

 

実のところ、このセリフには絶妙な罠、いや、復讐が仕込まれているのですが、このあたりもぜひ映画をご覧になって確かめていただければと思います。ただひとつ言えるのは、神のもとへ旅立つ時に偽りのないものを胸に抱くとしたら、それはやはり「愛したことだけ」なのかもしれない。そんなことをこの作品で考えさせられたのです。

 

愛されることは受け身ゆえに難しく、また不確かなもの。どこからどこまでが「愛された」と言えるのか、数値でもなければ確かめようがありません。でも「愛したこと」はきっぱりとわかります。不確かなものをたくさん集めるよりも、確かなものを一度でも手にした人のほうが、もしかしたら誇りを持って人生に幕を下ろすことができるのかもしれません。

 

 

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